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人口減少社会

今回は、人口が減ると社会保障に問題があるとか土地が安くなるとか電車のラッシュが解消するとかいう問題は置いておいて少しマクロ的なメモを書きます。 ある国の人口が減ると物価はどうなる? 需要と供給が同程度に減れば物価にはあまり影響はないかと思われます。 生産人口が先に減ると供給が減少するので物価は上がるかと思います。 労働力の供給が減るので労働コストの上昇によっても物価は上がるでしょう。また、国内生産が減るとその分の需要を輸入しないといけないので、通貨が流出し、通貨価値が減ることによっても物価は上がるでしょう。 物価が上昇すると投資が増大する? 物価上昇局面では先行投資したほうが得なので投資への圧力が増えるという理屈もあります。しかし人口減少で需要が減っていく社会に投資するのは合理的ではありません。上記のように物価上昇は自国通貨価値下落が原因で起きているとすると、海外通貨または海外資産に投資するのが合理的です。 生産人口減少と技術開発 生産人口減少は労働コストの上昇をもたらすので、技術開発による生産性向上への圧力がかかります。技術開発により生産性が向上すると生産コストが下がるので物価は低下します。 技術開発と経済成長 生産性向上によって物価が下がると消費が増大するので経済が成長するという理屈もありますが、人口減少社会では需要も減少すると考えられます。他の国で人口が増大して経済が成長していれば、そこへ生産性向上によってコストが低下した製品を売ることで利益を得て「経済成長」することは可能でしょう。しかしその利益は生産資本を持っている企業に行くので、税などで強制的に還元しないかぎり一般市民に成長の恩恵が行くことはないでしょう。 無限の欲望と無限の成長 経済学も宗教もシニカルな人間観察も今まで人間の欲望は無限であると考えてきたフシがありますが、現在の人間の生活を見ればそうではないことは明らかでしょう。20世紀後半にいたるまで人間の生物的な欲求が充足されたことはなかったので、 あたかも欲望が無限であるかのように見えていたのかと思われます。平均的な個人の欲望が有限だとすると、総需要は人口に比例する形になります。 資本主義と経済成長 資本主義社会は(無限の欲望による)経済成長を前提に構築されているようなので、経済成長が停止すると投資が不合理になって「株式会社」の仕組み

さようなら

深田晃司監督(2015)年の映画についてです。 平田オリザ氏の戯曲に基づく映画で、文芸的な作品です。 放射能に汚染され、全住民に避難勧告が出される日本でアンドロイドと暮らす白人女性が主人公です。 なかなかよい映画だと思いますが、振り返ってみるとツッコミどころも多いです... 以下、ネタバレ&ツッコミです。 背景の年代 アパルトヘイト撤廃後40年。アパルトヘイト完全撤廃(1994年)の40年後だとすると、2034年が映画の主な背景年ということになります。 アンドロイド購入年 主人公は10歳の時に日本に移住しており、アンドロイド購入はその直後らしいことが示唆されます。主人公役のブライアリー・ロングさんは1988年生まれ、2015年現在27歳で、これを主人公の年齢にあてはめると、2017年ごろにアンドロイドを購入していることになります。(ちとこれはきびしいですね) 車いすに乗ったアンドロイド アンドロイドは足が故障しているので車いすに乗っていることになっています。 石黒研のアンドロイドは二足歩行できないので、これは大人の事情ですね。 主人公の使用言語 主人公は、南アフリカ出身で、英語とフランス語と日本語を話し、ドイツ語も理解するようです。子どもの時は英語に南アフリカ訛りがあったことになっています。 10歳で日本に来たにしては日本語に訛りがありすぎます。設定するとすれば、来日直後はインターナショナルスクールなどに通ったためあまり日本語を使う機会がなく、かつ周囲の非南アフリカ英語のおかげで英語の訛りが減少したということでしょうか。そして、大人になってから日本語を習得した... フランス語とドイツ語は謎ですね。親がフランス系だったとか。大人の事情的には、ここはおそらく元の戯曲の衒学趣味でランボーやブッセの詩を原語で朗読したかっただけ、ということでしょう。 なお、ブライアリー・ロングさんは米国出身で、学部時代にオックスフォードで日本文学を学んだらしいです。(それで現在南アフリカ訛りがないことについて説明的な台詞が入っているわけですね。) 濡れ場 映画の中盤で唐突に濡れ場が挿入され、これが日本映画である(日本映画の伝統的なフォーマットに従った)ことを思い知らされました。そのせいでR15+指定になったのなら残念です。 南アフリカからの難民 主人公の家