Post

Lectura recente

Io ha finite Baiser de cinéma (E. Fottorino) e comenciate leger Trois femmes puissantes (M. NDiaye). Ambe son plus difficile que Désert (J.M.G. Le Clézio) que io habeva legite antea. Como io detesta de trovar le 'mesme parola' quando io consulta un dictionario francese-anglese, io ha comprate un dictionario francese ( Larousse ) pro mi iPhone heri. Io es contente nunc :-)

お茶の水→水道橋

お茶の水を目指すものの日比谷で日比谷線に乗ってしまい、築地まで行って気がつく失態。20分遅れぐらいでお茶の水について目的地を目指すが、裏紙に印刷したはずの地図が実は表側に印刷されていて読めない orz。少し迷った末上映5分前に「 こつなぎ 」なる(林業についての)ドキュメンタリーの上映会場に着くと長蛇の列。ホールがいっぱいで緊急に確保した会議室にも入れないかもしれないという。「遠くから来たんだから」とか行列から聞こえてきた。あきらめてぶらぶらと神保町方面へ。 GAIA という自然食品店を発見。フィラデルフィア時代に買い物に通っていた Coop に店内の雰囲気が類似していて好感を抱くものの、さすがに売り物のお値段が高く手が出ない。なんとかセールのスパゲッティのみ買って神保町へ。神保町で洋書を1冊処分しようとして古洋書店を2軒回るが担当者不在といわれる(schade.... ところで今検索したら Schade さんという人が結構いるんですね、残念!)。先日 アド街ック で取り上げていた(千代田区)猿楽町へ。(コミケの父) 米沢嘉博記念図書館 の中をのぞいてみる。さらに猿楽通りを北上、 韓国YMCA のロビーで一服。 統一日報 を読む。4ページほどだが結構面白い。おなかがすいてきたし、なぜか足も痛くなったので水道橋から帰宅した...

Redmine + Subversion インストールの記録

お名前.com VPS (CentOS 5.3) に Redmine + Subversion を導入をしたのでメモを書いておきます。不慣れなので1週間以上かかってしまいました。参考にさせていただいたサイトの作者には深く感謝いたします... Subversion のインストール 概ね次のサイトの指示に従った。 VMwareFusion/CentOS5/15.Apache+Subversionインストール CentOS4/CentOS5 - subversionの導入 最初 yum を導入しようとすると、rpm から 「ファイル ... (パッケージ .... から) は、パッケージ ... からのファイルと競合しています。」といった警告が出たので、yum を使わずに subversion を make しようとしたが、コンパイルエラーが出て行き詰ったため、強制的に(rpm --force オプションで) yum をインストールして、subversion のインストールを行った。 お名前.com の VPS では apache は導入済みで、設定ファイルは /etc/httpd 下の conf および conf.d フォルダにある。subversion 関連の設定は conf.d 下の subversion.conf に入れればよい。 例) LoadModule dav_svn_module modules/mod_dav_svn.so LoadModule authz_svn_module modules/mod_authz_svn.so Include conf/extra/httpd-subversion.conf <Location repos> DAV svn SVNParentPath /var/www/svn SVNAutoversioning on <Limitexcept GET PROPFIND OPTIONS REPORT> SSLRequireSSL </Limitexcept> </Location> ※SSLRequireSSL は http でのアクセスを禁止するためのディレクティブ ※お名前.com VPS では、一応 OpenSSL のサービスが動いている。 ※...

iPhone「復元」&アプリ消失

iPhoneのアプリがときどき使えなくなるので(当座の解決方法は無料のアプリをダウンロードすること)、Apple Store に行って(iPad の発表直後だったらしい)予防法を訊いた。「復元」を行ってくださいとのことだったので、家に帰ってあまり何も考えずに Mac に iPhone をつなぎ、iTunes で「復元」ボタンを押した。 しばらくすると「復元」が終わったが、購入したアプリがすべて消えている!(ついでにカメラのデータとかも) アプリ代数百円返せ〜、と思ったが、購入済みのアプリはタダで再ダウンロードできることがわかった。 アプリをちゃんとバックアップすればよいのかと思い、iTunes 上でバックアップとか「購入したものを転送」とか行いつつ何回か試してみるものの、常に購入アプリは消えてしまう。 ううむ、またそのうち Apple Store に行って訊いてみないと...。iPhone のマニュアルは読んでも意味不明だし。 (今回の台湾旅行でも旅行中に中国語辞書が使えなくなってしまい困った。途中のホテルで WiFi 接続できて修復したのだが...)

台湾

Immagine
1月22日から27日まで12年ぶりに台湾に行ってきました。 概要 5泊6日(友人宅(桃園)に4泊、高雄のホテルに1泊) 新幹線( 高鐵 )! 訪問地 桃園("台北空港" がある)、 鶯歌 、 大渓 、 新竹 嘉義+阿里山 昨年8月8日の台風被害で登山鉄道( 阿里山森林鉄路 )が運休停止のため、バンで2〜3時間かけて「森林遊楽区」を訪問。曇っていて霧の中だったことも少し残念。 高雄 東港 (屏東県)+ 小琉球 (船で約30分) 東港はマグロの町(高雄から高速バスで約40分) 小琉球島内はハイヤー(バン)で一周 台北 蔡国强 展(市立美術館) 写真集 大渓老街 素人目には日本と区別できませんね Trail in the Fog (阿里山) Sister Ponds (阿里山) A temple on the way to Alishan 嘉義 Historical Museum of Kaohsiung A View from 'Little Okinawa' (小琉球) At the Taipei Central Station (台北駅) 追記 気温 土曜日の桃園では日本の秋用のセーターとジャンパーでは寒いくらいでした。 阿里山はその格好でちょうどよいぐらい(17℃ぐらい)。 屏東&小琉球はさすがに上着がいらないぐらいでした。 今回は 台湾の屋台料理 (夜市小吃)をかなりカバーしました( 新竹 の 貢丸湯 など)。 阿里山では「 蛙の卵 」?も。 今回は在来線に乗ることはありませんでした。 (次回は在来線で東海岸を回りたいものです。) 日本統治時代の古い建築物はいたるところに(文化財として)残っています。 (私にとって)台湾の魅力は重層的な文化にあります。 中国語... 話しかけられると聞き取りは玉砕 (>o<)/ 現地の人と中国語で話すのは若干のやり取りにとどまりました。阿里山からの帰りのマイクロバス中で青島から出張中の女性と会話しましたが(阿里山には「大陸人」観光客が多くいたらしいです)。 台湾語(河洛語) ほとんど耳にしませんでした。外での会話はほとんど國語(マンダリン)のもよう。阿里山でのバンに途中で乗ってきて降りて行ったおばさんは國語じゃなかったようです...

Women, Fire, and Dangerous Things

遅ればせながら George Lakoff の「 認知意味論 」を読んだ。 これだけ重要な本なのにレーダーにひっかからなかったのは分厚すぎるからだろうか。 (哲学業界でも微妙にスルーされているような気もするが...) さて、この本のテーマは明確で、ひとえに Lakoff が「客観主義(objectivism)」と呼んでいるものへの攻撃である。「客観主義」とは、おおむね次のような主張だと考えられる。 集合として表現される(古典的な)カテゴリが世界の中に存在する。 そのカテゴリに対応する記号を用いて世界を(ユニークに)記述できる。 これに対するLakoff の反駁は大雑把に言って次のようなものと考えられる。 認知科学の知見によれば、我々が用いるほとんどのカテゴリは明確な境界を持たず、集合として表現されるようなものではない。 Putnamの証明によれば、ある事態を表現する記述(モデル)は複数(無数に)あり、ある記号体系が世界をユニークに記述するということはない。 Lakoff は、Putnamの証明は「モデル理論を用いて定義される客観主義の意味論」は矛盾していることを証明しているとしている(15章)。Lakoffによると標準的なモデル論的意味論は次のことを仮定するとしている。 文の意味は可能な状況(可能世界)ごとに、その文に真理値を与える関数である。 文の部分の意味を変えながら全体の意味を変えないということはできない。 Putnamの証明は、1の関数を変えないままで、文を構成するタームと世界内のオブジェクトを複数の方法で関連づける方法を提示している。つまり、2 がなりたたないわけである。Lakoff は、このことは一般的にあてはまることであり、標準的なモデル論的意味論だけではなく、Barwise らの状況意味論にもあてはまるとしている。 この証明は Putnam が内的実在論(internal realism)を取ることになった論拠として重要なものだが、上記のモデル論的意味論の定式化は最初からあやしい気もする。1. での「意味」と 2. の「意味」は同じものを指しているのだろうか。 Lakoff は、客観主義はPutnamが論駁した形而上学的実在論の特殊化であり、意味論の基礎付けに用いられてきたが、Putnamの証明をもって廃棄されるべきだと主張する。 ここで私にはわから...

今日の読書

「 〈心〉は体の外にある 」河野哲也(2006) 「チェスタトンの考えでは、ベザント夫人のような汎神論者は宇宙の中にすべての人間を溶かし込んでしまう。これとはまったく逆に、キリスト教の教義の根本は、剣であり、束縛を断ち切り、解き放つものである。」….(チェスタトン「 正統とは何か 」1995 :pp.240-242)p.162(cf. マタイによる福音書 10.34) 「愛とは、最終的に、相手を自分からも自立させることであり、そのことで同時に、自分を愛の対象から自立させることでもある」p.164 なんか久しぶりにエヴァンゲリオンを思い出してしまった( まごころを、君に )。ありがちな議論なのかもしれないけれど、映画はオタクを「愛の対象から自立させること」を目的としていましたからね。またもや多重な読み込みができるということで。