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近肖古王

近肖古王 放映中 百済の王子が危機につぐ危機をくぐり抜けて王になる話。 ドラマ的にはこれでもかというほど陰謀と策略が展開される。 時代は4世紀半ば。百済と高句麗が敵対している。 後に 太王四神記 の好太王(高句麗王)の祖父故国原王を戦死させている(つまり太王四神記より前の話である)。また倭王に七支刀を送る外交を行った。 歴史の教科書では、高句麗、百済、新羅と朝鮮半島史の中で習った(実際百済の領域はほとんど現在の韓国にある)ので、百済は朝鮮民族の国だと思い込んでいたが、 Wikipedia の記事 を見ると、冒頭でツングース系と決めつけている。百済と高句麗がその前にあった夫余族の国であることは中国の歴史書にあるようだ。夫余の言語については要するにほとんどわかっていないのだが、日本語と同系という説もあって、その場合は日本語の起源のミッシングリンクとなる言語ということになる。(現在の朝鮮語・韓国語は新羅の言語を源流としているらしい。) ドラマの中で、ビジュアルには王族たちは中国風の服装をしている(鬘を節約するためか頭巾をかぶっているところは水戸黄門にも見えるが)。これもそうなのかもしれないとしかいえない。同時代の日本の服装というと、みずらを結った大国主命スタイルである。これがビジュアルにいまいちなのも日本で古代ドラマが作られない理由の一つかもしれない。上着とかマントとか被り物とかが欲しいところである。 「近肖古王」の登場人物の考え方というのは、たぶん王国というもので人々がとるであろう規範一般に従っているように見える。これも実際のところはわからない。近肖古王中では、人々は仮想された「道理」に従って、自らの行動を正当化しようとする(ここらへんは韓国ドラマの王道かも)。日本で古代ドラマが作られない別の理由は、(日本の)古代人がどういう行動原理を持っていたのか皆目見当がつかないことにもあるかもしれない。また「道理」のバトルという形で日本のテレビドラマが構成しにくいところも、こうしたある意味異文明ものとなる古代ドラマをつくりにくい理由の一つだろうか。 ドラマでは、服装と道理の追求という2つの面から、高句麗、百済の人々はかなり文明的な人々に見える。いっぽう、Wikipedia によれば漢字の使用はこの近肖古王のころに始まったのだとい