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On Intelligence(続き)

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English version of this article On Intelligence の理論を少し一般化したものを図にしてみました。 図で「 Auto-Associative Self-Organizing Spatio-Temporal Pattern Recognizer (自己連想自己組織化時空間パターン認識器) 」という部分が新皮質に相当します。 時空間パターン認識(学習)器は HMM のような数学モデルでモデル化できるかもしれませんが、多次元ベクトルとなる空間パターンを扱うので、結局自己連想神経ネットワークモデルに似たものを使うことになるかと思います。 本ではそれぞれの皮質領域は運動制御に関係するとされていました。図で「Feedback from more abstracted pattern recognizer」とある部分は(知覚的な予測の信号と共に)運動制御の信号を含むかもしれません。(人間の視覚ではサッカードがあるため運動制御信号は知覚統合のために特に重要です。) 上の図で、入力信号、上位の層からのフィードバック信号、(時系列パターンを表現するための)状態は別々になっていなければならない一方、空間パターン上で同じことを表現するのに関連する信号は相互に組織だって処理される必要があります。 本(On Intelligence)では、新皮質カラム「内部」の異なる層が脳の様々な場所からの信号を受け取り、層の間で連絡を行いながら信号処理をしていることが説明されています。 上の図は一般的な知能のモデルとしては行為の部分が抜けています。行為がよくない結果をもたらさないように(予測された)行為の選択が行われる必要が あります(これは心の中でのリハーサルまたはシミュレーションのモデルともいえます)。 また、行為の学習を行うためには、何らかの生得的な行為の仕組みも必要でしょう。 行為が先になければ条件付けが起きません。動物は生まれた時からさまざまな行為の仕組みを持っています(馬なら最初から立ち上がります)。

On Intelligence

English version of this article Jeff Hawkins( ジェフ・ホーキンズ )の On Intelligence を読みました。この本は脳の働きについての新しい理論を提示するもので、それにより知的な機械を作ろうというものです。 2004年の出版ですが、訳書「 考える脳 考えるコンピューター 」が2005年に出ていることは原書を読みはじめてから気づきました(検索すると、この訳書も結構読まれているようです)。私は2、3年前までは記号的な言語処理の世界にいたので、気づかなかったようです。しかし、私も著者と同様1980年ごろの学生時代に脳の仕組みをあれこれ調べていたので、私にとっては原点に戻らせてくれるような本だといえます。 以下は本の理論的な部分の概要です: 脳科学者マウントキャッスルの原則: 新皮質領域はすべて同じ基本的な機能を持っている。 新皮質は問題解決のために記憶を用いる。 新皮質の記憶の4つの性質: 新皮質はパターンの時系列を記憶する。 新皮質はパターンを自己連想的に想起する。 新皮質はパターンを「不変的(invariant)な」形で記憶する。 ※ここで「不変的」というのは、さまざまなパターンに対して一定の応答をする(ようはパターン認識をする)ということですね。 新皮質はパターンを階層によって記憶する。 脳(新皮質)の基本的な機能は予測である。 予測は知能を理解するためのカギである。 新皮質のどの階層の領域でも(学習により)不変表現を生み出す(※どのレベルでもパターン認識をする)。 皮質(カラム)内の微細な層構造の機能を理解することは重要である。 例えば、時系列の学習は微細構造によって説明できる。 感覚皮質も運動に関与する。 視床を介するフィードバックは自己連想記憶に必要な遅延フィードバックと考えることができる。 新皮質の高次の階層からのフィードバックは下層の皮質中で詳細なパターンの予測をもたらす。 海馬は新皮質の階層の最上位にあって、新しい状況の記憶に寄与する。 上位皮質階層への視床を介する神経回路は予想外のパターンの検証に用いられる。 この本の内容は(直感的には)概ね妥当だと思えます。この分野にはかなりご無沙汰していたので、私の代わりに万巻の資料を読んで本にしてく...

On Intelligence

この記事の 日本語版 I recently stumbled on Jeff Hawkins 's theory on the Web and read his book published in 2004.  His theory is about how brains work and he purports that his theory would be valuable for building intelligent machines.  I came across it belatedly perhaps because I was in a more symbolistic approach until recently.  The book is interesting for me partly because I was also enthusiastic on the brain around 1980 when I was a student (like the author). The following is the gist of his theory written in the book: Vernon Mountcastle's principle: all the neocortex regions are performing the same basic operation. The neocortex uses stored memories to solve problems. The four attributes of the neocortical memory: The neocortex stores sequences of patterns. The neocortex recalls patterns auto-associatively. The neocortex stores patterns in an invariant form. * This is to say that it recognizes patterns by learning. The neocortex stores patterns in a hierarchy....

ローカル変数は使用不可

Eclipse のデバッグモードで今朝急に変数が表示されなくなって、2時間ぐらいバタバタ調べていましたが、なんのことはなく、 なぜか 以下の設定のチェックがはずれていたのでした(汗) Java コンパイラー □ 生成されたクラス・ファイルに変数属性を追加(B) (デバッガーによって使用される)

Banio de un Panda

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パンダ、2度目の入浴 수고하셨어요!

近肖古王

近肖古王 放映中 百済の王子が危機につぐ危機をくぐり抜けて王になる話。 ドラマ的にはこれでもかというほど陰謀と策略が展開される。 時代は4世紀半ば。百済と高句麗が敵対している。 後に 太王四神記 の好太王(高句麗王)の祖父故国原王を戦死させている(つまり太王四神記より前の話である)。また倭王に七支刀を送る外交を行った。 歴史の教科書では、高句麗、百済、新羅と朝鮮半島史の中で習った(実際百済の領域はほとんど現在の韓国にある)ので、百済は朝鮮民族の国だと思い込んでいたが、 Wikipedia の記事 を見ると、冒頭でツングース系と決めつけている。百済と高句麗がその前にあった夫余族の国であることは中国の歴史書にあるようだ。夫余の言語については要するにほとんどわかっていないのだが、日本語と同系という説もあって、その場合は日本語の起源のミッシングリンクとなる言語ということになる。(現在の朝鮮語・韓国語は新羅の言語を源流としているらしい。) ドラマの中で、ビジュアルには王族たちは中国風の服装をしている(鬘を節約するためか頭巾をかぶっているところは水戸黄門にも見えるが)。これもそうなのかもしれないとしかいえない。同時代の日本の服装というと、みずらを結った大国主命スタイルである。これがビジュアルにいまいちなのも日本で古代ドラマが作られない理由の一つかもしれない。上着とかマントとか被り物とかが欲しいところである。 「近肖古王」の登場人物の考え方というのは、たぶん王国というもので人々がとるであろう規範一般に従っているように見える。これも実際のところはわからない。近肖古王中では、人々は仮想された「道理」に従って、自らの行動を正当化しようとする(ここらへんは韓国ドラマの王道かも)。日本で古代ドラマが作られない別の理由は、(日本の)古代人がどういう行動原理を持っていたのか皆目見当がつかないことにもあるかもしれない。また「道理」のバトルという形で日本のテレビドラマが構成しにくいところも、こうしたある意味異文明ものとなる古代ドラマをつくりにくい理由の一つだろうか。 ドラマでは、服装と道理の追求という2つの面から、高句麗、百済の人々はかなり文明的な人々に見える。いっぽう、Wikipedia によれば漢字の使用はこの近肖古王のころに始まったのだとい...

Kevin Sullivan 版「アン」シリーズ

最近見た Kevin Sullivan 版「アン」シリーズ についてのメモ Anne of Green Gables (1985) Megan Follows 17才 部分的には(例えばマリラのキャスティングとか)高畑版に酷似している。 いちばん高畑版と違って見えるのはダイアナのキャスティングか。 近所の奥さんたちが政治家の出席する集まりにいくところとか、当時の島の文化度を表しているように見える。働けば農民でも文化的な生活ができたすばらしいところだったように描かれている(「 こんにちはアン (Before Green Gables)」や下記の 2008 年の作品ではたぶん意図的に当時の社会のダークサイドを描いている)。 後半はアンとギルバートが秀才ぶりを競う話となる。 ※マリラのセリフを聞いていると言語能力(皮肉の能力)はアンよりマリラのほうが秀逸 :-) The Sequel (1986) Megan Follows 18才 学園の教師となるが、街の一族にいじめられるという、これも少女漫画ぽい展開。 漫画ぽくコメディでもある。学園のシーンは「こんにちはアン」の孤児院のシーンを思い出させるところもある(もちろんこれは引用の順序が逆)。 「 アンの幸福 」に基づいているようだが、かなり違う話のようだ。 The Continuing Story (1999) Megan Follows 31才 途中から第一次大戦(1918年前後)になり、いきなり前線へ飛んで戦争映画に。 夫たちが前線へ駆り出されるさまは、日本の戦中を描いたドラマを思い出させる。 (家が大きいのとキスシーンが違うが) というか、こんな話、原作にない。アンの生まれたのが1860年代だとすると第一次大戦のころには60才近くになっているはずである... 話はどんどん戦時スパイものっぽくなっていく。 ここまで(1.〜3.)は全般的に文学的というよりドラマ的または漫画的展開(それが必ずしも悪いわけではないが)。 A New Beginning (2008) 主役キャストは Barbara Hershey と Hannah Endicott-Douglas(幼少時)に。 第2次世界大戦後に作家のアンが幼少時を回想するという作りで、もう一つの「Before Green Gables」(同じ年に発表されてい...