2010年代の国内時勢

数年以上続いた不安の時代、つまり、自己陶酔と他者への憎悪が社会を覆い、事実と論理が疎んじられる社会が到来するのではないかという恐れを持って過ごした(私はビビリ)時代からようやく抜け出られそうな気配が感じられる昨今、警戒と記録のためにこのメモを残すことにする。
この時代の背景には3つのグループが識別できる:1) ネトウヨなどのヘイトモンガー(Hatemongers・以下HM)、2) 日本会議などの復古主義団体(Reactionary Groups・以下RG)、3) 安倍政権である。これら3つのグループは、別々の行動原理を持ちながらも互いに補強しあってこの時代を形成したと考えられる。

ヘイトモンガー(HM)

2011年ごろにはTwitter がおすすめするつぶやきや Yahoo ニュースのコメントなどの中にヘイトスピーチが多く見られるようになり、知り合いの中にもそうした主張をコピーするものがみられるようになった。街路では嫌韓デモが発生し、書店も週刊誌の吊り広告にも嫌韓・嫌中のコンテンツがあふれるようになっていった。一部のコンテンツは金銭目的で作られていたのかもしれないが、HMは確実に存在していた。
HMの勃興の理由の一つは、新たな「事実」の発見であったように思える。例えば一部の人々が不公正に補助を得ているという噂がネット上で広まり、そうした人々にヘイトスピーチが向けられた。また、歴史に関しても「自虐史観」で語られてきた一部の歴史は間違いで、より「正しい」歴史があるという言説が流布された。こうした噂や言説は新しい「事実」にもとづいているということから、高学歴の人々も惹きつけたのである。
もうひとつのHMの隆盛の原因は、日本の経済が不安定に推移する中、自らを国家と同一化し、そこに所属、同化しない者を貶めることで、心理的な報酬を得ることができたということがあるだろう。
HMはその後、以下のように想定される理由により少しづつ目立たなくなっていく。
  • 議論の成熟化:当初ヘイト・スピーチに準備できていなかったネット世界やその他メディアも、カウンターの事実や議論で均衡をとることができるようになった。
  • リアル社会ではカウンター団体が行動する一方、政治の世界でも反ヘイト・スピーチの法律ができるなど、包囲網ができた。
  • 日本の新しい位置づけに人々が慣れてきた。
  • フィルターバブルによって異なる意見を持つ人々がネット上で隔離された。
  • 人々がヘイト・スピーチに飽きた。

復古主義団体(RG)

これには日本会議や神社本庁、神道政治連盟といった団体が含まれる。彼らの主張の勘所は必ずしも明文化されていないが、報道などから推測すると、第二次世界大戦敗戦に伴う現行憲法制定によって生じた価値観の変化に反対であるということのようだ。
神道関係についていえば、明治以降国家神道として国家権力にくいこんでいたものが敗戦によってパージされてしまったのであるから、一部の神道関係者が失地回復を願うという動機は理解できる。
また、戦後の憲法論で常に大きな議論になってきたのは憲法9条の問題であるが、9条は敗戦後の改憲で導入されたのであるから、この否定も彼らの復古主義の一つの焦点となる。
一方、彼らの動機の背後にある心理は、既存の権力構造に楯突くことに対する反感なのかもしれない。この心理は、群れのボスに服従し、支配秩序を乱す個体を罰することが有利にはたらく社会的動物の進化の観点から説明できる。敗戦後の改憲は権力に軛を導入する立憲主義的(リベラル)なものだったから、この心理からすれば現行憲法に反対することは理解できるし、さらに復古主義が派生することも理解できる。なお、この心理は「全体主義」のイデオロギーとは異なる。全体主義は全体最適性の計算に基づくものであって、情緒的なものではない。既存の権力構造を個体の自由に優先するという意味で、彼らを「保守」あるいは「反リベラル」と呼ぶことができる(ここで「権力構造」とは制度的な体系ではなく人的な上下関係を指す ― 現行体制を変更してかつての体制に戻りたいという点では彼らは「保守」ではなく「復古」である)。

安倍政権

HMが目立つようになってから少しの後、第二次安倍政権が誕生する。安倍政権はHMの支持を受けていたし、今でもHMとネット上の「安倍応援団」はしばしば同一視される。安倍氏および周辺の政治家たちはRGおよびその支持者からも支持を受けており、現在も相互協力の関係にあるようである。安倍氏が標榜していた「戦後レジームからの脱却」は復古主義と軌を一にするものと考えられる。自民党が下野している間、安倍氏らは憲法草案を作っているが、現行憲法との改変点については、RGの目指すところと同様、権力に対する軛を少しずつ緩め、国民に対する義務を増やす方向に改変されていることが指摘されている。
安倍政権側がRGと復古主義を共有していたとしても、それが国民の大多数の共感を得られるわけではない。RGの存在が一般に明らかになっていくにつれ、あからさまな協調は批判を受けるようになる。また、安倍政権があからさまにHMとなることもできなかった。安倍政権側の目標は、復古主義を実現するというよりも、できるだけ長期に政権を維持し、改憲という「栄誉」を手に入れ、取り巻きの利権も最大化することだったのかもしれない(第一次安倍内閣は不本意な結果に終わっているので政権への執着は理解できる)。
安倍政権のもう一つの特性として事実と論理の軽視を挙げることができる。安倍政権下では事実と論理を最も重視するはずの官僚組織が事実と論理を軽視しはじめ、不祥事をおこすようになった。こうしたことが起きた原因としては、人事局制度によって内閣が高級官僚の人事を握るようになってしまったこと、政権側自体が事実と論理を軽視していたといったことが挙げられるだろう。

まとめ

過去10年間に「右傾化」の(所属秩序に対立する人々へのヘイトという)現象が見られた理由としては、日本の経済の不安定化の他に、2009年の民主党政権の成立が挙げられるだろう。民主党政権は自民党政権より「リベラル」なので「反リベラル」反動(reaction)としての「右傾化」が表面化したわけである。
「リベラル」と「反リベラル」の傾向を持つ集団はそれぞれ今後も存在し続けるだろうし、時代によってどちらかが優勢になるだろう。それ自体は一般的な社会現象だが、私としては、民主主義を破壊してしまうような制度変更が起こらないように願うのみである。

Post popolari in questo blog

マケドニア語・ブルガリア語同時学習その5(名詞の性と数、後置冠詞形)

Aipo に Let's Encrypt の SSL証明書を適用

ES611の電池交換